るうの雑記帳

TheWishdomOfTheSands



砂の話



caravan


A stream,from its source in far-off mountains,


はるかかなたの山々にその源を発し、

passing through every kind and description of countryside,
at last reached the sands of the desert.



さまざまな土地を流れてきた小川が、ついに砂漠に出会った。

Just as it had crossed every other barrier,
the stream tried to cross this one,
but it found as it ran into the sand,
its waters disappered.



小川はこの砂漠も、
それまでに克服してきたすべての障害物と同じように
通り抜けようとしたが、砂の中へ流れ込むと同時に
吸い込まれてしまうのであった。

it was convinced, however, that its destiny
was to cross this desert,
and yet there was no way.



この砂漠を渡ることが、
自分に課せられた使命であると信じていたにもかかわらず、
小川にはもうそれ以上、先へすすむべき道はなかった。

Now a hidden voice, coming from the desert itself, whisppered,



すると、その時、砂の中から次のような囁き声が聞こえてきた。

"The wind crosses the desert, and so can the stream."



「風は砂漠を渡っていける」

The stream objected
that it was dashing itself against the sand,
and only getting absorbed ;
that the wind could fly
and this was why it could cross a desert.



小川は反論した。
「風が渡ってゆけるのは空を飛べるからであり、
 私の場合は砂にぶつかって吸い込まれるだけだ。
 それが私の運命なのだ」

"By hurtling in your own accustomed way
you cannot get across.
You will either disappear or become a marsh.
You must allow the wind to carry you over
to your destination."



「これまでのやり方で突き進んでいっても、
 ここを通り抜ける事は出来ない。
 いずれ消滅してしまうか、沼地になるだけだろう。
 目的地にたどり着きたいのなら、
 風に運んでもらわなければならない」

"But how could this happen?"



「しかし、そんなことがいったい、どうやってできるというのだ」

"By allowing yourself to be absorbed in the wind."



「風の中に溶け込むのだ」と、砂が言った。

This idea was not acceptable to the stream.
After all, it had never been absorbed before.
It did not want to lose its individuality.



この考えは小川には受け入れ難かった。
何かに溶け込んだことなど、これまでに一度もなかったし、
自分の個性を失いたくはなかった。

And once having lose it,
how was it to know that it could ever be regained?



それに、一度自分を無くしてしまったなら、
ふたたびもとの姿に戻れるという保証がどこにあるというのだろう。

"The wind," said the sand,
"performs this function,
it takes up water, carries it over the desert,
and then lets it fall again.
Falling as rain,
the water again becomes a river."



「風には、水を持ち上げて砂漠の上を運び、地上に降ろす能力がある。
 水は雨となって落ち、ふたたび川になるのだ」

"How can I know that this is true?"



「でもその話しが本当かどうか確かめようがないじゃないか」

"It is so, and if you do not believe it,
you cannot become more than a quagmire,
and even that could take many, many years ;
and it certainly is not the same as a stream."



「この話しは真実であり、
 もし信じないのなら、お前は沼以上のものにはなれないし、
 沼になるのでさえ何年もかかるだろう。
 そして、明らかに沼は、小川とはまったく違った存在だ」

"But can I not remain the same stream that I am today?"



「今のままの小川であり続けることはできないのか?」
 
"You cannot in either case remain so," the wisper said.
"Your essential part is carried away
and forms a stream again.
You are called what you are even today
because you do not know which part of you
is the essential one."



「いずれにせよ、お前は今の自分であり続けることは出来ない。
 おまえの本質が運び去られてしまうからだ。
 やがて、お前は再び小川になるだろう。
 自分の本質について何も知らないので、
 お前はいまだに小川という存在であり続けているのだ」
 
When he heard this,
certain echoes began to arise
in the thoughts of the stream.


このとき小川の心の中に、ある記憶がぼんやりと蘇ってきた。

Dimly,
he remembered a state in which he
-or some part of him, was it?-
had been held in the arms of a wind.



小川は自分が
ーそれとも自分の中の一部だったのだろうか?-
風の両脇に抱きかかえられていたときのことを思い出した。

He also remembered
-or did he?-
that this was the real thing,
not neccessarily the obvious thing to do.



そして、さらに記憶をたどっていくうちに
ー本当にたどれたのだろうか?-
はっきりとそう確信できたわけではなかったが、
これは本当に実行しなければならないことなのだと思った。

And the stream raised his vapor
into the welcoming arms of the wind,
which gently and easily bore it upwards and along,
letting it fall softly
as soon as they reached the roof of a mountain,
many, many miles away.



小川は蒸発してゆき、
上空で両手を広げて待っている風の中へ溶け込んでいった。
風はやさしく、また軽々と小川を運んでゆき、
遠く離れた山々の頂上に達すると、そこでおだやかな雨を降らせた。

And because he had his doubts,
the stream was able to remember and record
more strongly in his mind the details of the experience.
He reflected,
"yes, now I have learned my true identity"



砂の話しを疑っていた小川はこのとき、
「ついに私は自分の本質を知ったのだ」と、思った。
そしてこの体験の一部始終を、
これまで以上に深く記憶にとどめようと努めた。


The stream was learning.


このようにして、小川は新たに学んでいた。

But the sands whispperd,


しかし、砂漠の砂はこう呟いていた。

"We know, because we see it happens day after day ;
and because we, the sands, extend from the riverside
all the way to the mountain."



「俺達はとっくに知っている。
 くる日もくる日も、この出来事を見ているのだからな。
 しかも俺達は、この川の末端から、はるかかなたの山々にまで、
 ずっと続いているのだ」


And that is why it is said
that the way in which the stream of life
is to continue on its journey
is written in the sands.

「砂の中には生命のたどる道が書かれている」
と言われるのは、このような理由からである。



****スーフィーの物語「Tales of the Dervishes」より****






親愛なる我が EX Boyfriend にプレゼントされたのが、
OSHOの講話録「The Wishdom of the Sands」でした。
冒頭にこのスーフィーの物語「砂の話」が書かれ、
その話からOSHOの講話が始まっていきます。
そのさわりの部分だけを以下に抜粋しました・・・



Sufizum does not shout.
it only whispers. Naturally,
only those who are ready to listen with sympathy
-not only with sympathy, but empathy-
only those who are ready to open their hearts in trust
and in surrender can understand what sufism is.
Only those who are capable of love can understand
what sufism is.
What is its message?
It is not a logical analysis ;
neither is it as illogical as zen.
Sufism says to be logical is one extream,
to be illogical is another.
Sufism is just somewhere in the middle,
neither logic nor illogic.


Osho--The wisdom of the sands--





スーフィズムはシャウトしない。
それはささやく・・・自然に・・・
共鳴(共感)をもって聞く用意が出来た者にのみささやく・・・
共感だけではなく、だが、感情移入する。
信頼と明け渡しの中にハートを開けるものにのみ、
スーフィズムは理解できうる。
愛することのできうる者のみが、
スーフィズム何であるかを理解することができる。
それらのメッセージはなんだろう?
それらは論理や分析ではない。
また、禅のように非論理的でもない。
スーフィズムは言う・・・、
ひとつの極、論理的でもなく、
またもう一方の非論理でもなく、
スーフィズムはただ、どこか真ん中の地点に位置する
論理的でもなく非論理的でもない地点に・・・


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